父の背中を追いながら、自分らしい経営へ
1969年に創業した株式会社共英は、建設機械のレンタルおよび販売、道路舗装をはじめとした建設土木工事、福祉用具レンタル、介護施設の運営、SNS運用など、幅広い事業を手がけている。また、福利厚生の充実や社会貢献活動にも積極的に取り組んできた。同社の根幹となっているのが、現場の声を拾い上げるボトムアップ型の経営である。代表取締役社長の荒井香名氏に、その想いを伺った。
パートから社長就任までの歩み
同社は荒井氏の父が建機レンタル会社として創業した。荒井氏は出産を機に、子育て中でも融通が利きやすい家業に、パートの事務職として1998年に入社。当時、後継者になる意識はなく、「社長になれるなんて思ってもみなかった」という。しかしその3年後の2001年、建機レンタル事業のノウハウを活かし、同社が福祉用具のレンタル事業に参入したことをきっかけに、荒井氏も経営に深く携わるようになった。
その後、正社員登用を叶え、着実に昇進していった荒井氏は、ついに副社長に就任。創業社長である父と二人三脚で経営を行うことになるが、苦労も多かった。「父は創業社長らしく、強いリーダーシップのもとトップダウン型の意思決定で会社を大きくしてきた人です。だからこそ今の当社がありますが、その分、言葉がきつく感じられたり、誤解されたりすることもあった。そんな父と社員の間に入り、父の意図をくみつつ、現場で働く社員の声にも寄り添わなければならず、バランスを保つのが大変でした」と荒井氏は振り返る。
副社長として調整役をこなし、さまざまな葛藤をくぐり抜けてきた荒井氏は、2015年に父に代わって社長に就任した。その際の心境については、「ぼんやりと社長のポジションを意識することはありましたが、実際に父に言い渡されたときは迷いがありました。『建設業なのに女性が社長で大丈夫なのか』という声もありましたし。それでも、長い間共に頑張ってきた社員と、この会社を成長させてみたいと思い、決断することにしました」と話す。
就任以来、社長として意識しているのは、社員一人ひとりの努力や長所を見つけ、認めてあげることだ。「例えば業務日報を見ると仕事ぶりが把握できますよね。その内容から、頑張っている社員に対しては『この間、○○さんのところへ行ってきてくれたんですね』など、業務にまつわる具体的な声かけをしています」と語る。荒井氏は毎日、社員の日報に目を通している。日々の努力を社長がしっかり見ていて認めてくれている——。そんな実感は、社員にとって大きな励みになっているだろう。

声を拾い続け、力に変えていく
荒井氏と社員は同じフロアで働いており、加えて定期的にミーティングも行っていることから、社員が気軽に意見しやすい社風が醸成されているという。手厚い福利厚生を整えているのも、社員の声を尊重した結果だ。
「ある社員がランドセル代の高さに悩んでいたので、小学校に入学するお子さんがいる社員全員にランドセルをプレゼントする制度をつくりました。各家庭ごとの子どもの人数制限は設けていません。プレゼントしたランドセルを背負ったお子さんの写真を社員が見せてくれるのですが、みんなかわいくて、うれしい気持ちになりますね」と荒井氏は笑顔で話す。そのほか、奨学金返済の補助制度、時間単位の有給休暇の設定なども行い、誰もが無理なく働ける職場環境づくりに取り組んでいる。また、社員のアイデアをもとに地元・江戸川区で子ども食堂の開設もスタートし、地域のつながりづくりにも貢献している。
荒井氏は、社員だけでなく、周囲のさまざまな声もビジネスに反映している。SNS運用事業の一環としてスタートした「Japan CEO Gourmet(JCG)」は、家族との会話から着想を得た。荒井氏は「身内が国際結婚し、海外の方と関わる機会が増えました。その中で『日本滞在中の飲食店選びが難しい』『観光客向けの飲食店情報が多すぎてよくわからない』といった話を聞き、こうした問題を解決するプラットフォームの創設を思い至りました」と説明する。JCGは、外国人観光客向けの飲食店ではなく、日本各地の地元経営者が厳選した“本当に地元で愛されている飲食店”を見つけられるプラットフォーム。現在は試験的に運用しており、今後本格的な稼働を目指している。
父の姿から多くを学びつつ、自分らしい方法で経営を行ったことで会社に新たな可能性をもたらしている荒井氏。「もともとリーダーをやるような性格ではありませんでした。そんな私でも、周囲の助けもあり、約10年、経営者として会社を成長させることができました。最近では管理職を断る方が増えていますが、もし自分にチャンスが巡ってきたら、思い切って挑戦してほしいですね」と、未来のリーダーにエールを送った。
